父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

 

2月2日

 こんにちは。今回はヤニス • バルファキス氏著の「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」という本を紹介していきます。私自身、久しぶりに、こんなにも目から鱗で、心に響く本に出会うことができました。

 本書では、今の世界と経済の本質を、経済学と政治学の点から、解説している。どうして格差は生まれるのか、どうして政府と銀行の関係はズブズブなのか、どうして資本主義が正しいと言われるのか、そのほかにも、様々な物事の背景や起源、また、これからの経済が向かう先について、シンプルにわかりやすく述べられているます。

 本当におすすめの一冊です。

 是非、手に取って読んでみてください。

目次

第一章 なぜ、こんなにも「格差」があるのか

第二章 市場社会の誕生

第三章 「利益」と「借金」のウエディングマーチ

第四章 「金融」の黒魔術

第五章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界

第六章 恐るべき「機械」の呪い

第七章 誰にも理解されない「新しいお金」

第八章 人は地球の「ウイルス」か?

 

第一章 なぜ、こんなにも「格差」があるのか

 どうして世の中に格差があるのでしょうか。

そして、この格差はどうしてなくならないのでしょうか?

 この疑問について、少し変わった切り口から紐解いていく。

 問いをこう変換しよう。

「なぜ植民地は外国に侵略されてしまったのだろうか」

 例として、アボリジニを挙げる。ヨーロッパから来た侵略者は、200年続いたアボリジニの素晴らしい文化を踏みにじり、長きにわたって暴力と略奪を繰り返してきた。そのせいで、今でもアボリジニはありえないほどの貧困の中で暮らしている。

 でも、こう考えたことはあるだろうか?「どうしてアボリジニはヨーロッパを侵略しなかったのだろうか」と。注意深く考えなければ、ヨーロッパ人は賢くて力があったから、とか、アボリジニは、いい人たちだっだから侵略しなかったとか、そういう答えを受け入れるかもしれない。しかし、歴史の中で迫害された人々を、賢くないから犠牲になったのだと少しでも思ったのなら、その考えは捨てた方がいいだろう。

 

 こんな話を聞いたことがないだろうか?「貧しい国は経済が弱いから貧しい」と。

でも、豊かな国でも貧しい人はいる。なぜ、世界には貧しい人がいる一方で、途方もない金持ちが存在するのだろうか?

 この答えは全て経済まつわることだ。その経済と関係深いのが市場だ。こういう言葉を聞くとその話はいいやと耳を塞いでしまう人が多いだろう。しかし、その行為は未来に背を向けていることと同じだ。目を向けてほしい。

 

 経済と市場は同じものだと思っている人は、多いだろうが実は違う。市場とは、ものの交換を行う場所をさしている。そして、経済というものが成り立つためには、市場があればいいというわけではない。先に答えを言おう。経済が成り立つために市場に必要なもの、それは「余剰」だ。

 

ここで注目してもらいたいことが2つある。

 まず、狩りや漁や、自然の木の実や野菜の収穫には余剰を生み出さないということ。狩人がどんなに達人でも余剰は生まれない。なぜなら、とうもろこしや米のような保存ができるものと違って、うさぎや魚やバナナは、すぐに腐れてしまうからだ。

 次に、農作物の余剰が人類を永遠に変えるような偉大な制度を生み出したということ。それが文字、債務、通貨、国家、軍隊、宗教などだ。文字は余剰を記録するものとして生まれ、債務、通貨は余剰を記録する媒体として、国家はそれを管理する支配者として誕生した。そして、宗教は、その支配者が支配者であることを正当化するための思想として生まれたのだ。

 

 話を戻そう。「なぜアボリジニは、イギリスを侵略しなかったのか」

 その答えは、オーストラリアで余剰がうまれなかったからだ。オーストラリアでは自然の食べ物に事欠くことがなかった。300万人が、ヨーロッパ並みの広さの国土に自然と共生し人々は土地の恵みを独り占めできた。だから、農耕技術を発明しなくても生きていけたし、余剰を溜め込む必要がなかった。テクノロジーがなくても豊かな暮らしができたのだ。

 逆に、気候に恵まれないイギリスでは、大量に作物の余剰を貯めないと、生ていけなかった。航海技術や生物兵器も余剰から生み出された。そうやって、はるばるオーストラリアまでたどり着いたイギリス人にアボリジニが、かなうはずがなかったのだ。

 つまり、格差が生まれたのも、無くならないのも「経済」が原因する。この経済の仕組みについて以下、述べていこう。

 

第二章 市場社会の誕生

 市場社会が成り立つためには以下の3要素が必要になる。

 ・自然から採取する原材料(鉱石や石炭)、それを加工する道具や機械、それらを置く建物や織そしてインフラ一式。これらすべてが生産手段である「資本財」

 ・「土地」または「空間」生産が行われる場所

 ・製品に命を吹き込む「労働者」 

 

 かつての、大昔の社会では、これら生産に必要な要素は商品ではなかった。「グッズ」だった。わかりやすく説明しよう。「労働者」の場合、昔であれば、おそらく今よりも必死に働いていた。封建領主に奴隷が仕えていた時代、奴隷らは汗水たらして働いていたが、自分の労働力を売ることなど考えもしなかあった。主人は収穫の大部分を、当たり前化のように独り占めし、労働者を暴力で言いなりにすることも少なくなかった。また、「土地」も商品ではなかった。領主は、先祖代々の土地を売ることなど考えもしなかったし、土地を売ることなど許されないことだと考えていたのだ。

 

 しかし、あることをきっかけに、生産活動のほとんどが、市場を通して行われるようになった。その時に、生産の3要素は商品になり交換価値を持つようになった。「労働者」は自由の身となり、お金と引き換えに労働力を提供するようになり、「生産手段」の道具は専門の職人によって販売されるようになった。また、「土地」も不動産市場で売買されるようになった。

 

 では、この大転換はどのように起きたのだろうか?

 

 世界が変わり始めたきっかけは、ヨーロッパで造船が発達し、羅針盤が発明され、航海手段が改善されたことだ。それがグローバル化につながった。ヨーロッパの国々は羊毛をつき船積みし、それを中国で絹に交換し、絹を日本で刀に交換し、インドで刀を香辛料に交換し母国に戻る。そうすると、その香辛料で、最初に船積みした何倍もの羊毛が手に入る。そうした流れの中で、これら商品を売買する商人は大金持ちになった。そんな中、領主たちは、社会階層の低い商人や船乗りが莫大な富を手に入れることに憤慨し、自分たちの地位や資産が小さく感じられることが気に入らなかった。そこで、とんでもないことを考えるようになった。「いっそのこと仲間になったらどうだろうか」と。農奴が作る玉ねぎやビーツはグローバル市場で価値はなく、小汚い農奴を追払い、羊を飼い、世界で売れる羊毛を作ろうと。(これが人類稀に見る残酷な改革「囲い込み」改革だ。)

そうすることで、領主は莫大な富を獲得するため、「土地」を商品を生み出すため要素としたのだ。その結果、追い出された農奴は、生き抜くための手段として、自分自身、つまり、「労働力」を売るようになったのだ。

  

 しかし、ここで「偉大なる矛盾」が生まれた。土地と労働とその他の「グッズ」が、商品になることで、それまで不正義と卑劣な扱いに苦しんでいた農奴は解放された。新しい自由の概念が生まれた。しかし、その一方で、土地の賃料の取り立てや、借金、劣悪な労働環境による病気など、新しい形の苦痛や貧困が生まれた。

 

 産業革命によるグローバル化は、「思いもよらぬほどの莫大な富」と「言葉にできないほどの苦痛」が共存する世界が出来上がった。農業革命で生まれた格差は、産業革命で、ものすごい規模に拡大してしまった。市場のある社会が「市場社会」に変わったことでお金が手段から目的になってしまったのだ。それは、人間が利益を追求するようになったから。たしかに誰にでも欲はある。だが、欲望と利益の追求は全くの別物であるこいうことは、歴史と現在の考え方の違いを見れば明らかだ。

 

第三章 「利益」と「借金」のウエディングマーチ

 この章では全ての富が借金から生まれていることない説明をしている。まず、第1章で述べたように、経済が存在するための前提条件として「余剰」が必要だ。そして、それは、封建時代、以下のような流れで機能していた。

 生産→分配→債務•責務だ。

1. 農奴が土地を耕し作物を作る(生産)

2. そこから領主が無理やり年貢を納めさせた(分配)

3. 領主は自分が必要とする以外の余った作物を売って金を稼ぎ、その金でモノを買ったり支払いをしたりした(債務•債権)

 しかし、市場社会が成り立つと、「大転換」が起き、生産後に余剰を分配するのではなく、生産前に分配が始まったのだ。

 

 もっとわかりやすく説明しよう。イギリスで農奴が土地を追われ、羊に置き換えられた時、追い出された農奴はどうしただろうか?

 その後、領主から土地を借り、羊毛や作物の生産の管理をし、それらを売ってお金にし、領主に土地の賃料を払い、働き手たちに賃金を払うようになった。つまり、小規模ながら、事業を経営するようになったのだ。

 しかし、事業を起こすには資金が必要だ。賃金を払い、作物の種を買い、領主に地代を払わなければならない。つまり、作物ができる前にお金が必要になる。しかし、起業家になった農奴たちは、そんなお金がなかったために借りるしかなかった。つまり、借金をしないといけなかったのだ。地代も原料や道具の値段も生産を始める前からわかっている。将来の収入の分配はあらかじめわかっているのだ。事前に分からないのは、起業家自身のとりわけだけだ。ここで、分配が生産に先立つようになった。このように大転換が起きた。

 こうして、借金が生産プロセスに欠かせない潤滑油になったのだ。利益自体が目的になったのも、この時だ。利益が出なければ起業家たちは生き延びることはできないからだ。

 

第四章 「金融」の黒魔術

 金融機関の役割とはなんだろうか。

 銀行は、貯金があってもすぐに使う予定のない人と、貯金がなくお金を借りる必要がある人の間に立って両者を結びつける。預金者からお金を預かり、借り手にそのお金を貸し付けて利子を取り、預金者には少しの利子を払い、その差で儲ける。こういった仕組みだった。だが今は違う。

 ひと昔まえなら、借り手がきちんと返済できるか確信してではないと、お金を貸さなかった。しかし、1920年頃から金融業の歯車が狂った。一つ目は、産業革命によって起業家が増加し、貸し付ける借金の額が爆発的に増大したこと。そして二つ目が、銀行が被害を被らないための方法として、リスクを分配するために個人投資家に販売するようになったことだ。このように、銀行のみで被害を被らなくなったために、現在は、より多くの人に、より多くの金を貸すようになった。お金を貸すことで経済に回るお金が多くなり、銀行の懐も潤うからだ。つまり、今や銀行は、使用者にとっての「金融ツアーガイド」なのだ。

 

 しかし、どこにでも落とし穴というものは存在する。

 銀行は、借り手の未来からお金を引っ張ってくる(借金を作らせる)ほど、投資家にますますのローンを売りつけることができ、取り扱う、そして、貸し手と借り手間で生まれる、利ざやが増えれば、増えるほど銀行の利益は増大する。

 だが、銀行が未来から引っ張ってくるお金が増えれば触れるほど、未来を読み間違う可能性が高まる。つまり、すべての人にお金を貸したとしても、すべての人がお金を返せるわけではなく、借金を返せないかもしれない借り手の母体数が必然的に増えるのだ。

 銀行が大量に貸し付けを行うことで、経済は循環し、市場社会は拡大する。そして、安定しているように見える社会で銀行はよりお金を貸し出してしまう。

 だが、ある地点で社会全体が借金漬けになり、経済の成長がそれに追いつかず、利益を出しても、返済しきれない状態が来る。ここで未来から引っ張ってきた莫大な価値が実現できないとわかった時、経済は破綻する。これが「金融の黒魔術」だ。

 (事実、約10年前の「ギリシャ危機」にも金融の黒魔術は大きく関係している。)

 

 つまり、金融機関は経済の潤滑油である借金を生み出す必要不可欠な機関であるとともに、経済を破綻の淵に追いやる恐ろしい機関でもあるのだ。

 

第五章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界 (中まとめ)

 これまでに述べた、領主の囲い込みや金融機関の貸し出しなど、人は誰しも自分と他人の行動を振り返り、他人の心を推し量ってその行動を予測する。どんなに賢く、どんなに知恵があっても、自分を守りたいという短期的な衝動に勝てない。そんな不合理で矛盾した人間の振る舞いと経済という機会をスムーズに動かすためには、18世紀にイギリスで起きた「大転換」と同じぐらいの大改革が必要だ。

 今、私たちはそんな大転換の中にいる。デジタル化と人工知能による機械化と自動化が社会を根本からかえている。この変化によって、産業革命で生まれた大きな格差を広げてしまうのだろうか。縮められるのだろうか。

それは、これからの私たちの舵きりにかかっている。

 

第六章 恐るべき「機械」の呪い

 第三章では、利益について、それ自体が目的になっていく過程を説明した。起業家は生産を始める前に借金をせざるを得ず、生き延びるために利益が必要になった。そして、利益を生み出すためには、他の起業家と競争して顧客を獲得しなければならない。顧客を獲得するためには、製品の値段を下げなければならない。そして値段を下げるには、同じ賃金でより多くの製品を生産し続けなければならない。機械工学やテクノロジーの発明がこの生存競争に役立つとわかるとすぐに、こうしたテクノロジーは生産に利用されるようになった。

 こうして生み出されたテクノロジーは機械としてさまざまな場所で導入され、人類は大量の機械奴隷を朝手に入れることができた。

 だが、このように大量の機械奴隷を投入することでこれまで担ってきた人間の役割がなくなってしまう。

 

 では、それに代わるような、人間にしかできない仕事が新しく生まれるだろうか?

 

 そこが問題だ。もし、社会の仕組みがこれまでと変わらず、機械が生み出す利益を一握りの人々が独占し続けるとすれば、新しい仕事は生まれない。経営者たちの目標は、誰も働かずに済むような社会を実現することでも、利益がどうでもよくなる社会を実現することでもない。経営の夢は、どの企業よりも先に労働者を完全にロボットに置き換えて、利益と力を独占し、ライバル企業の労働者に自分たちの製品を売りつけることだ。巨大テクノロジー企業が世界を圧巻し、すべてデータがされ、人間とロボットが入り混じったアンドロイドの世界がもし仮に生まれてしまうとしたら、私たちの未来はどうなってしまうのだろうか?

 事実、良くも悪くも、テクノロジーが進化して人間の殆どの仕事ができるようなレプリカントが作られるのも時間の問題だろう。私たちがテクノロジーの進歩に反対しても問題は解決しない。テクノロジーイノベーションは、私たちを苦役から開放し、クリーンなエネルギーを生み出し、命を救う薬を作ってくれる。とてもありがたいものだ。しかし、ありがたいと思って機械に私たち人間が乗っ取られてしまうのはごめんだ。

 

 ここで、今ある現実の大きな2つの希望に目を向けてみる。それは「人間性の喪失や労働力の安売りに抗う無限の力が人間にはある」ということと、「災いと福はつね対となっているという経験的な知識」だ。経済が定期的に災厄に見舞われると、その度人間の労働力は回復する。倒産や経済危機によって少なくとも当分の間は人間の労働力は安くなり、生き残った企業は高価な新型のロボットではなく、失業者を受けいれるようになる。もちろん、人間らしい心と常識を取り戻すために、経済危機という犠牲が必要だなんておかしなことだ。だからこそ、これまでとは違う「大転換」が必要なのだ。賢く機会を使って労働がすべての人に恩恵をもたらすような大転換が。

 

 すべての人に恩恵をもたらす機械の使い方について、一つアイデアを挙げよう

 簡単に言うと、企業が所有する機械の一部をすべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。富の集中が極まるた、大多数の人たちは、使えるお金が減り、ものが売れなくなる。だが、利益の一部が自動的に労働者の銀行口座に入るようになれば、需要と売り上げとか価格の悪循環がとまり、人類全体が機械労働の恩恵を受けられる。

  私たち人間はテクノロジーの可能性を余すことなく利用する一方で、人生や人間らさを破壊せず、一握りの人たちの奴隷になることもない社会を目指すべきだ。そのためには、すべての人が自分たちの生み出した機械の主人になるような社会を作るほかに道はない。

 

 だが、どうしてかそれができない。

 

 それは、機械や土地やオフィスや銀行を所有している、ほんの一握りの権力者たちが猛烈に反対するからだ。

 

 では、彼らを前にして、私たちはいったいどうすればいいのだろうか?

 

 

 

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 その答えは、本書に書いてある。

 本当のことを言うと、大切な大切なこの答えをうまくまとめることはできなかったからだ。本書の言葉を借りよう。

 

「民主主義はとんでもなくまずい統治状態だ。欠陥だらけで間違えやすく、非効率で腐敗しやすい。だが、他のどの形態よりもマシなのだ」

 

これはチャーチル大統領が演説で行った、有名なジョークだ。

 市場社会が生まれてから、私たちは、私たちを守るために、私たち以外を、犠牲にするようになってしまった。私たちの利益ばかりを追求するようになってしまった。この利益の追求の外側に追いやられたものたちは、声を上げることができない。それは、外国によって支配された植民地を皮切りに、利益の犠牲になった多くの人々、長い間、破壊され続ける環境資源、そして広がり続ける格差。これらの犠牲者である、声なきものを救うのは、「民主化」なのだ。平等な社会なのだ。

 

「自分の身の周りで、そして遥か遠い世界で、誰が誰に何をしているのか」

この問いを忘れないでほしい。これが筆者の思いだ。

 

つまりこう言うことだ。

 

私たちは探索をやめることはない

そしてすべての探索の終わりに

出発した場所に辿り着く

そのときはじめてその場所を知る

 

 

 

 

 

 

謝辞

 今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。このサイトでは要約や著者が心に残った部分を述べているので、より理解を深めてもらうためにも、是非、本書を手に取ってもらえたら幸いです。閲覧ありがとうございました。

 

参考文献 ヤニス • バルファキス 

 『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』